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  1980-1985年


   1972-1980年


  1957−1972年
 敗戦とともに工場はソヴィエトの管理下に置かれましたが、1950年東ドイツ成立を受けて国立マイセン磁器工場として再スタートしました。1960年に工場創設250周年を機に「芸術創造のための集団」を結成しその中から現代マイセン五人組が誕生しました。現代マイセンの創生です。
 1957年からマイセンマークの下の高台付近に印が付くようになりました。1972年からは右に、1980年からは左に印が付いています。1980年からこのマークはやや長くなりキャンセルマークのスクラッチを入れるようになりました。
 1985年からはこれらの印のないマイセンマークだけとなり1934年から1957年の時期のものと見分けがつかなくなりましたが、品物の状態やモデル、新旧のデコレーション番号、高台の形で年代が判断できます。 
 マルコリーニ期に古代ギリシャ美術回帰の新古典主義が主流となり、それまでの「インドの華」のような図案化された絵柄からより写実的な「ドイツの花」が描かれるようになりました。特に、マルコリーニのチューリップは代表作です。この時代の作品はときどき見かけますが深刻な財政難から材料に不純物が混じっていることが多いため購入時にそれを考慮する必要があります。1817年からキューンによる工場改革で双剣の下のアスタリスクに替えて、良質なものはT、粗悪な材料を使用したものはUと表示されるようになりました。
 7年戦争の終了からマルコリーニ就任までの間、ドレスデン・アカデミーの絵画教授ディートリッヒがマイセンを統括しフランス人彫刻家のアシエがモデラーとなりました。この時代にロココから新古典主義へ嗜好が変化しています。剣の鍔と鍔の間にドットがあり、ファイファー期のマークとドットの位置が異なります。
 18世紀のマイセン第1期黄金時代のマイセンマークです。1731年から正式に採用されました。現在のマークと比較すると剣は真直ぐで本物の剣に近い形をしていますが統一性はあまりなかったようです。骨董的価値はありますが滅多に見かけることはなく、当時のモデルに関する相当な知識が必要となります。
1934以降
 ファイファーが工場長を務めた時代のものです。双剣の上部の間にドットが印されました。単品物の芸術的な作品が作られるなど評価の高い時期です。10年という短い期間でしたが現在も多くの作品を目にします。程度の良いものが多いのですが金彩の擦れやはげのあるものも多いのでカップのハンドル部分と縁のチェックが必要です。
1924〜1934年(ファイファー期)
 マイセンの黄金期、ボタン剣のマークです。現在も作品が大量に出回っています。年代物ですので保存状態により程度はまちまちですが金のはげが著しいものは避けたほうが良いでしょう。また、不純物によるスポットや突起もまだ多い時代です。その一方で、豪華なフラワーブーケや細密なワトーの絵付け、複雑な透かし等技術も高く、また、金の使用量が多いことも魅力的です。
 1850年までのマークはいい加減に書かれていましたがキューンが経営責任者となると写真のように剣の根元が丸いボタンのようなマークになりました。
 このマークは1888年位からブルーオニオンの竹の根元にも描かれるようになりました。
 マイセン200周年記念で、1910年6月6日から1年間は1710と1910の数字が印されています。
1824〜1924年(ボタン剣)
1774−1824(マルコリーニ期)

1763〜1774年(アカデミズム)

1725〜1763年(ヘロルト〜ケンドラー期)
マークの変遷
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